ラブレター 22/09/20

 

ポルノグラフィティ」を「知った」日のこと

もちろんアポロもヒトリノ夜ミュージック・アワーも、アゲハ蝶もサウダージもサボテンもその前から知ってたんですけどまだそこまでではなくて(え?そこまでではないのにこの知名度なのこの時点ですごくないですか?!)(今となっては完全にファンの欲目です)、ちゃんと()CDがほしい」と思ったのは『メリッサ』の時だと思う。多分友達が「これアニメになるんやって!」って言うてたな〜と軽い気持ちでチャンネルを合わせた鋼の錬金術師OPがそれで、「えなにこの曲どうしようめちゃくちゃ好きかもしれないこの声知ってるなんでやろうあっ、ポルノグラフィティ」となりました。それが私がちゃんと「ポルノグラフィティ」を知った日です。それから勿論アニメの内容もなのですが、OPの曲が聞きたくて、聞きたくて、毎週土曜日の夕方を心待ちにしていたように思います。聞けば聞くほど歌詞に惹かれて、「愛に焦がれた胸を貫け」というフレーズが本当に好きで、(今でも大好きです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)そこのフレーズがくると一緒に口パクをしていました。

 

胸を貫いたもの

それくらい入れ込んで誰かの曲を聞くのは初めてで、でも発売日がいつなのかとかどうやって確認すれば良いのか分からなくて(アホ…)、どうしようどうしようってなってるうちにいつの間にかCDが発売になってるらしい(アニメの間にながれるCMでやっと知った)(ちなみにそのチラッと流れたCMで性癖を滅多刺しにされました)となって近所のCD屋さんとかに行ってみたんですけどもう全部売り切れていて、でも取り寄せてもらうとか店員さんに聞いてみるとかそんな選択肢は全くなくて(当時の私にとっては知らない人(たとえ店員さんでも)に話しかけるのがめちゃくちゃ勇気のいることだったので…)、半泣きになりながら家に帰りました。友達も誰もCDもってなくて途方に暮れました。ただたまたま観ていたMステに出演されていて、(めっちゃラッキー!!!!!!!!!と思って飛び跳ねた)ビルの屋上で「メリッサ」をやられていて、はじめ曇っていたのに、ラストの「月が満ちる夜を生み出すのさ」のところで月が本当に見えて、もう本当にめちゃくちゃ感動しました

それで、そのうちにアニメのOPが変わって、「さみしいな」と思っているうちに塾の冬期講習(受験生だった、そういえば…)がはじまり、アニメの時間帯に家にいることが難しくなって、そのままアニメからもフェイドアウトしてという感じだったのですが、高校1年生の夏休みのときにベストアルバムが出て。そこにメリッサも収録されていて。

ベストアルバムのことも知ったのも偶然だったんですけど、もう「買ってしまおう」とおもいました。当時お小遣いが五千円だったので私的には大金だったんですけど、全然迷わなかったです。ベストアルバムは『青』と『赤』があって、メリッサは『青』に収録されていました。流石に2枚同時に買えないので(欲しかったけど!!!!!『赤』のほうにはミュージック・アワーとか愛が呼ぶほうへとかサウダージとか入ってるし!!!!!)先に『青』を買いました。(『赤』も後日買いました!!!!!!!!!!!!)

そこでやっとメリッサの全編を聞くことが出来て、めちゃくちゃ嬉しかったです。それで遅いんですけど何回も曲を聞いているうちにやっと「あれ?」となって。「タイトルが『メリッサ』なのに1番のどこにも『メリッサ』という言葉が出てこないな」とやっと気づいて。そしたら2番で「せめて宙に舞うメリッサの葉になりたい」と出てきて、もうそこで「ワー?!?!?!?!」ってなりました。メリッサ(花言葉は『同情』)ではなくメリッサの葉ってなにをどうしたらそんなふうな言葉選びになるんだろうこれはただの深読みでしかないんですけど「君の手で/切り裂いて/遠い日の記憶を」「悲しみの/息の根を止めてくれよ」「さあ/愛に焦がれた胸を貫け」で「遠い日の記憶を」で文章(歌詞?)を区切るとすると「胸を貫くもの」がなんなのか明示されていないことになるんですよね。そうなると何が胸を貫くんだろう?と考えたとき、「あっ」となりました。もしかして「メリッサの葉」が「胸を貫く」んじゃないかな、と。ただの自分勝手な深読みでしかないし、晴一さんにいったら多分そこまで考えてないって言われてしまうと思うんですけどそれに思い至ってしまったときにまた「えっ、この歌詞凄い」となりました。晴一さんの歌詞に胸を貫かれた瞬間だったと思います。そこから、どうやったらこんな歌詞や情景が描けるようになるのか知りたくて、少しでも近づきたくて、晴一さんがパーソナリティを務めているラジオ(カフェイン11)も聴き始めて、特集されている雑誌も買って、晴一さんが読んでいる、と言った本を片っ端から読むようになりました。でも二次創作をするようになって、自分でも曲がりなりにも文章を書くようになって、晴一さんの歌詞の凄さというか、素晴らしさというかをひしひしと感じては、近づくどころか、どんどん遠ざかっているな、と感じている今日この頃です。でもそれがうれしい。どうしたらこんな言い回しができるの?!って常に思っています。もっともっと遠ざかってほしい。もっと晴一さんの書く歌詞の世界を堪能したい。

そして『青』と『赤』を購入したことであの曲たちと出会ってしまったのでした。

そしてこれが当時私の性癖を滅多刺しにしてきたMV

 

https://youtu.be/DXo_xX_Hqro

 

まほろ○△とフィルムズ

まほろ○△」は『青』「フィルムズ」は『赤』にのみ収録されている曲です。

まほろ○△はじめて聞いたとき、「えっ、こんなにおしゃれなのにやらしい曲あるんだ」と衝撃をうけました。(「渦」もその部類にはいるのですが、私にはまほろ○△のほうが刺さりました、当たり前ですがここはもう完全に個人の好みだと思います)所謂一夜限りの情事を歌っているもので、聞いていて「えっ、これ私が聞いていて大丈夫なのかな?」と思ってしまいました。直接的な表現はそこまでされていないのに、歌詞に出てくるふたりの熱や、やりとりが分かる。「声にならない声がいま、なによりものおしゃべり」って、そんなふうに言ってしまうんだと感動しました。そういうタイプの曲に触れること自体も初めてだったのですが、(○△以前にも「リビドー」や「愛なき」などもあるのですが私が聞いたのは○△が最初だったので…)それがまほろ○△でとても幸せだったなと思います。

「フィルムズ」「さようならの意味を知らない子どもらが、無邪気に手を振ってさよならと」最初のこの一文の、もうここだけで「別れた」ことが分かるのすごくないですか?!初見で聞いて「ああ、別れたんだな」

と思ってすぐに「これだけで簡潔にドラマチック()に別れたことを、しかも別れたと直接言わずに分からせるのめちゃくちゃすごくない?」となって呆然としました。いやさよならって言ってるけど、それは子どもが手をバイバイしてる姿を描写していて、でもそれを通して、その風景を見つめる主人公の気持ちが伝わってきて、小説みたいだと思うと同時に短編映画みたいだ、と思いました。晴一さんの紡いだ言葉が昭仁さんの声でひとつひとつ歌い上げられるたびにぶわっと浮かんでくる情景とその美しさにずっと浸っていたくて、何回も何回もループして聞いていました。

というか、「まほろ○△」と「フィルムズ」、テレビで演奏されてないのむちゃくちゃ勿体なくない⁉️私が知らないだけで演奏されたことあるんでしょうか⁉️2つともアルバムの曲順最後で、オリジナル曲で、「別れ」がテーマで共通しているのにこんなに毛色が違う歌詞なのヤバくないですか⁉️それこそ『青』と『赤』のように……

それで、次にでる曲も絶対聞いてみたい、CDを買って、カップリングに入っている曲も聞きたいと思うようになりました。

シスターと黄昏ロマンス

 

https://youtu.be/dCyilP8zLS0

 

https://youtu.be/28NxtIzOJFM

 

そしてそのベストアルバムの次のシングルが「シスター」でした。1回聞いただけで、この曲が大好きになりました。「アゲハ蝶」や「サウダージ」で感じた「熱」みたいなものはそこにはなくて、ただひたすらに深い深い底まで透き通った、冷たい水のなかをひとりで泳ぎ続けているみたいなどうしようもない喪失感が漂っていて、でも紡がれる言葉やそこから見える景色はどれも全部綺麗で、聞こえてくる言葉をずっと抱きしめていたい、いま自分だけに垣間見えたこの光景を焼き付けておきたい、そんな気持ちになって、ぎゅっと胸の奥を掴まれた様な感覚に浸っていました。それで、やっぱり思うのです。「え?じゃあつぎはどんな曲になるの?」

黄昏ロマンス、という曲でした。やっぱりシスターとは全然違っていて、とても優しくて温かくて、その優しさと温かさに泣いてしまいそうになる曲です。歌詞の言葉のひとつひとつは普遍的で、口語的なのに、その言葉たちはきっと晴一さんのなかでじっくり吟味されて、選びに選ばれたものたちなんだろうな、と分かりました。歌詞の主人公が相手に向ける視線は終始ずっとやさしくて、あたたかくて、穏やかで、それなのに「はしゃぎすぎた季節から/黄昏にかわっていく/僕は上手に乗れてはいないけれど」という一文()からはある種の乾いた諦めのようなものを薄らと感じてしまって勝手に切なくなってしまったりもして、やっぱりただの温かい曲だけで終わらせない晴一さんはすごいなと思いました。言うまでもないことですが、もうこの時点で「作詞家・新藤晴一」にかなり傾倒しています。

 

「ギフト」という名曲

晴一さんは「自分はボーカリストではないから、伝えたいことは全部歌詞に書かないといけない」(だから歌詞にして直接書くことと行間に込めるものとの塩梅が難しい)と折に触れて言っていて、それはその通りだと思うし、だからこそ尚更、晴一さんの作詞のセンスを崇拝してしまっているのですが、「えっ、そんな芯を食ったことまで言ってしまうんや」と感じたのが「ギフト」の歌詞です。

「ギフト」はたぶんJPOPで言うと「応援ソング」の部類に入る曲だと思うのですが、「応援ソング」を聞く時ってだいたい自分を鼓舞する時じゃないですか?こう「よし!頑張るぞ!」とか「大丈夫!自分ならできる!」とかそうやって自己暗示をかけるというか、自己陶酔するというか

だからそんなときに「自問自答/きっとそこには答えがないことを/意外と前に気づいてたかも/悩んでる自分に酔っていた」とか「夢に重さはないんだけれど/言い訳ばかりなすりつけて/やっかいなものを背負っている気になってる」とかバケツから冷水ぶっかけられる()ようなことを言われたら「はぁ?!💢💢💢」ってなりませんか?わたしはなります。人が重い腰をあげてやっと折角やる気になったのに水をさしてくるんじゃないよ💢と。でも「ギフト」を聞いていても全然そんな気持ちにはならなくて、寧ろさっきあげたところが「ギフト」の歌詞のなかでむちゃくちゃ好きなところですしいやもう完全にファンの欲目なのは分かっているのですが、たぶんそれは昭仁さんの声で歌われているからで。何が言いたいかというと、晴一さんの昭仁さんの歌への信頼感すごくないですか⁉️😭ということです。えっ、だってこれ自分では歌わないんだよね⁉️それなのにこんな晴一さんにしてはストレートすぎる言葉をあえて選んで、それを昭仁さんが歌うんですよね⁉️それはつまり「昭仁さんが歌うならこれくらいは書いても(昭仁さんの歌唱力と表現力の)許容範囲内」だと思っているということですよね⁉️

えっ、信頼感すごくないですか⁉️半端なくない⁉️(n回目)いやそうじゃなかったら2人でポルノやってないよって言われたらそれまでかもしれないんですけど、それにしても😭

この曲も、ご多分にもれず、もう最初に聞いたときからめちゃくちゃすきになってしまったんですけど「文字だけで読むと結構キツいことを、聞き手に向けて言っているのになんで歌にされるとこんなにすんなり受け入れられるんだろう」ってずっと聞きながら考えていて、ふとそのことに思い至ったときにまた「ワー?!?!?!?!」ってなりました。

晴一さんにしては痛烈すぎるほどまっすぐで直截的な表現をしているのに、全体としてはちゃんとした()J-popとして機能していて、聞いているうちに自分の中にこびりついていた後ろ向きな感情がこそぎ落とされていって、曲を聞き終えたあとは素直に「がんばろう」と思えるようになっているから本当に凄いなと思います。魔法かな?晴一マジック?とんでもないな……

あまり知られてはいないかもしれないけれど、(じつは石原さとみちゃん主演の『フライングラビッツ』という映画の主題歌にもなったんですよ!)正真正銘の名曲だと私は考えています。

晴一さんの言っている「嘘でも前に」という言葉を曲にしたらこうなったのかなというような気もしています。

MV の撮影でフィンランドまで行って、そこで本物のサンタクロースにあえて、うれしくて泣いちゃった晴一さんのエピソード大好きすぎて今でもそのことを思い出して「フフフ☺️」ってなってますし、そのMVでサンタさんと一緒にめっちゃ嬉しそうにエアギターしてる晴一さん大好きです。

 

https://youtu.be/28NxtIzOJFM

 

瞳の奥をのぞかせて、で感じた変化

瞳の奥をのぞかせて」を聞いたとき、何故かは説明が出来ないんですけど「あ、変わったな」と思いました。なんというか、歌詞の書き方()みたいなものが

晴一さん本人はきっと意識していないとは思うのですが、それまでは何も無い空間()、場所()に肉薄するように言葉を選んで『歌詞の形』を作っていたた印象を受けるのですが、「瞳の奥~」からは自分の中にある言葉を削って余計なものを削ぎ落としていって『歌詞の形』を作るようになったような。決して手を抜いているという訳ではなくて、敢えてそうしているというか。

でもこんなこと言ってますけど「空のワイングラスの横で/私の目覚めを待っているのは/千切られた紙切れに並んだ/青いインクで書かれた美しい文字」という言葉を初見で聞いたときは「は、晴一文学〜!!!!!!!!!😭😭😭😭😭😭😭🙏🏻🙏🏻🙏🏻🙏🏻🙏🏻🙏🏻🙏🏻🙏🏻🙏🏻」とひれ伏しましたいやもう何え?これ歌詞ですか?ドラマの導入部分ではなく?これだけで一筋縄ではいかない関係の2人の話だってわかるじゃんすごいいやもう何……曲調のせいもあってそんなふうに聞こえてしまっているのかな?ともチラッと考えたんですけど字面だけみても「そういうか関係のふたり」だとはっきりと分かって再びひれ伏しました。

ただやっぱり「二人で夜に漕ぎ出しても/夜明けの頃には一人置き去り」も「いけない時間は甘噛みのように/淡い赤色/消えない痕を/残して」も紛うことなき絶対的な「晴一さんの歌詞」なんですけど、やっぱりどこか抑えているというか多分それまでならもう少し捻った()暗喩みたいなものを取り入れていたような気がして、(ジョバイロ」や「Love,too Death,too」に見られるような…)そして晴一さんの歌詞ならそれをしても違和感なく受け入れられることはもう確実で、それを本人も自覚しているところはあると思うんですけど、敢えてしないということは態となんだろうな、と感じました。

そしたら2番のこの歌詞です。

「開け放ったままの天窓に/煌めいてる星々は決して/一つとこの手に落ちない/それならばそっと/窓を閉めましょうか」

そういうことかとなりました。

天窓を閉める?天井ってだいたい届かなくない?え?どうやって?無理くない?と思ったんですけどこれは「瞳を閉じる」ということですね「開け放ったままの天窓」が「私の瞳」で「煌めいている星々」は「瞳の奥をのぞかせないあなたの目にうつるもの(うつっているようにみえるもの)=私の手には一つも落ちることはない(私のものにはならない)」それならば私も「窓を閉じる」(=瞳を閉じる)(=あなたを拒絶する)…私はそう理解しました。「瞳の奥をのぞかせて」というタイトルの曲のなかで「瞳を閉じる」ということはもう「そういうこと」じゃないですか?「一秒針が進むごと」というほどに、秒針が進む音が聞こえてくるくらい静かな部屋で、そっと瞳を閉じてああ、この人はこの関係を終わらせることを決めたんだなと思いました。そしてそれを暗喩的に示唆する歌詞すごくないですか?文学以外のなにものでもなくない?「瞳の奥をのぞかせて」は純文学です。そして「瞳の奥をのぞかせて」から始まる新しい系譜ができたなと思いました。LiAR、カメレオン・レンズ、夜間飛行、そして最新の、クラウドなんかもこの系譜に当たると思うのですが(個人の見解です!)ちょっとキリがなくなりそうなので強制的に割愛します。

これは第2次性癖滅多刺し大事件が勃発したMV↓

 

https://youtu.be/uG744__gZ3A

 

VS」という約束

「あれは遠い夏の日の蜃気楼/こだまする友の声」という最初の一文・「プッシュプレイ」(ネオメロドラマティックカップリング)へのアンサーであること・主題歌であるアニメの登場人物の名前を歌詞の中に散りばめる演出、もうその何もかもにエモーショナルが溢れている。歌詞の中にキャラクターの名前を忍ばせるとかもう何?そんなのもうみんな最高に好きなやつじゃん私は漫画を未読だしアニメもちょっと仕事の関係で追うことができず、全然気づかなくて、Twitterで見かけた考察でやっと「ワー?!?!?!?!」ってなったんですけど、そんな人間でも違和感なく歌詞を聞くことができるのにそのうえで「わかる人にはわかる」ような仕掛けをするの天才すぎません?歌詞を書くときに自分でそんなふうに縛りみたいなものをつくってみると普段使わない言葉も歌詞の候補にあがってきて新鮮だ、みたいなことをラジオでサラッと言ってましたけど、いやいやその離れ業なんなの?すごすぎるから……いやそんなふうに見せてるだけかもしれませんが

ミステリの世界には「ラストストローク(最後の一文によるどんでん返し)というものがあって、それを言うなら晴一さんの歌詞にはファーストストロークみたいなものがあると思う。だって曲の初っ端が「あれは遠い夏の日の蜃気楼/こだまする友の声」ですよ。その情景が放っている青い煌めきに胸がぎゅっとなって心を掴まれてしまう。わたしは100%青春を謳歌したタイプの人間ではないのに、そんな人間でもこんなふうに感じてしまう言葉を放り込んでくるの好きすぎます

「あの少年よ/こっちも戦ってんだよ」

これで思い浮かべたのはプッシュプレイで描かれていた、ロックスターに憧れている少年(青年?)の姿で、それは私のなかで自然と晴一さんと昭仁さんの姿になっていて、そんなふうに言葉にされると、歌にされると、どうしたって今の「ロックスターになった」2人が「あの頃」の2人に向かって語りかけているようにしかきこえてこなくて、それはプッシュプレイで謳われていた「あのロッカー/まだ戦ってかな?」に対する答えになっていて、長い時間を経て2つの曲の光景が綺麗に重なっていって、それが、もうとてつもなく眩しくてだから2019年の東京ドームの本編の最後に見た光景は宝物以外の何物でもないです。なにもかもがきらきらしていて、死ぬ前にもう一回この景色を見たいと強く思います。

VS/同じ空の/下で向かい合おう」というフレーズもこの曲の中に出てきて、「向かい合う」のはたぶん歌詞の中にでてくる「かつての少年」であったり、mix(主題歌だったアニメ)のなかの登場人物たちのことだったり、それから前述した「プッシュプレイ」で描かれていた「少年」だったりすると思うのですが、もしかして「私たち」に対しても言ってくれているのかなと最近は考えるようになりました。ここからは本当にかなり自分勝手で身勝手な妄想というか願望になるのですが、「ライブでまた会おうね」という意味もほんの少しだけ込めてくれているのかなってそうだったら良いなって『暁』(最新アルバムです本当にもうむちゃくちゃ最高なアルバムなので後生ですから聞いてください本当によろしくおねがいします)の最後の曲がこの「VS」で、同じカテゴリーに「テーマソング」も入ると思うんですけど、比較的発売日が新しい「テーマソング」がラストでも特に違和感はないなかで、「VS」をラストに持ってくる理由が、私にはもう「決意表明」としか思えなくて、それは「自分たちはこれからもずっと走り続けます」「だからまたここ(ライブ)で会いましょう」と言ってくれている気がしています。「VS」は約束、それは「かつての少年」であった「自分」とのものであり、「あのロッカー、まだ戦ってかな?」と謳っていたあの曲とのものであり、そして「同じ空の下で向かい合おう」といままさに謳っている自分自身と、それからほんの少しだけだけ「私たち」とのものでもあってほしい…(最後だけちょっと欲が出てしまいました)そんなんじゃないよって言われるかもしれないですけど、今のあいだだけでもそう思っていたいです。

↓MVからもエモーショナルが溢れていて泣く

 

https://youtu.be/ErWG9Fn8fpo

 

続・新藤晴一

 

https://youtu.be/KssLr62tofc

 

『暁』の収録曲のタイトルが発表されて、そのときに同時に作詞、作曲、編曲を誰がしたのかも分かって。それで、シングルを含む全曲の作詞を晴一さんが手がけていることが明らかになって、「えっ、わたししぬのかな」と思いました。アルバムが発売されて、届いて、聞いて、しにました。作詞家・新藤晴一の全部のせ。そんなのもうただただひれ伏すしかなくないですか?今の晴一さんの作詞家としての全てが(作曲家としてもそうだと思うのですが、作詞家・新藤晴一に傾倒している人間なので私は…)詰め込まれていた。いやそんなんプロやねんから当たり前やろって言われるかもしれないんですけど、曲のひとつひとつは似たものなんて全然なくて、むしろ全然違うものばっかりなのに、「本当に全部同じ人間が書いたのか?」ってなるのと同時に、不思議ととっちらかったり、ちぐはぐだったりする印象は全く受けなくて、全部が全部れっきとした「新藤晴一の歌詞」としてそこにあって、いやもうちょっと凄すぎて意味がわからないちゃんと一曲一曲を聞き込んで、咀嚼して、自分なりの解釈を深めたいと思うのに、聞き始めたらアルバム一枚まるまる聞きたくなって、「やっぱりあれも、これも聞きたい」となって、晴一さんの言葉のなかにずっと浸っていたくて、どうしても停止ボタンと巻き戻し(あるいは早送り)ボタンが押せなくて、毎日毎日「今日こそは、じっくり一曲ずつ聞き込むぞ」という気持ちと「やっぱり全曲通してノンストップで聞きたいな」という気持ちのせめぎ合いです。いまのところ「全曲通してノンストップで聞きたいな」という気持ちの全勝です。もうちょっと落ち着いたら一つずつ聞き込めるかなと思っていたのに、発売からもう既に1ヶ月が経過したのに、まだまだそれは難しそうです。

 

晴一さんの紡ぐ言葉に、その言葉が見せてくれる情景にもうずっとずっと魅了されて続けています。

「好きだ」と直接言っていないのに確かに相手を想っていることが伝わる描写、何の変哲もない日常生活の一部も切り取り方次第で別れの予感を示唆できること、敢えて比喩や暗喩を散りばめることで感情の流れをはっきりと浮き彫りにすること、全部晴一さんの歌詞に教えてもらったことです。毎回毎回晴一さんの表現に触れるたび、こんなふうな描き方があるんだ、こんなふうに言葉を繋ぐんだ、こんなに綺麗な景色を見ることができるんだ、と心が震えてばかりです。それは、メリッサのあの歌詞にであったときからずっとそうです。

だから『暁』で晴一さんの言葉に触れられたこと、晴一さんの描いた世界観に浸れたことは私にとって贅沢以外の何物でもないです。どの曲に充てられている歌詞も、どれも刺さるものばかりで挙げだしたらきりがなく、(そもそも「暁」の韻の踏み方ヤバくないですか?)(とくに「反転させるべきは思考/論点をずらす解答/安全主義者らの敗北が物語っているだろう」のところ)(韻を綺麗に踏んだ上でこんな含みを持たせられるの何?天才?いや、神ですか)メビウス」でまたひとつステージをのぼられた気がしています。(ラジオで詩の勉強を始められたこともめちゃくちゃ影響しているんだろうなと思います。)(「わたしのからだはゆびあみにんぎょう/ほどいてしまえばなんにもなくなる」のところがとくに美しくてもうむちゃくちゃ好きです…)私が「メビウス」を、初めて聴いたのは、去年のツアーに参戦したときなんですけど、そのときの衝撃は今でも忘れられません。美しくて儚くて、哀しいのにその曲のなかの主人公が幸せそうにも思える瞬間もあって歌詞を書いたのはまだどちらかわからなかったんですけど、やっと晴一さんだと知って、意外だなと思うと同時に(私は昭仁さんだと思っていました)(昭仁さんはときどきこんな突然変異()のような歌詞を書かれることがあるのでそして私はそんな歌詞もむちゃくちゃ好きなので…)とても嬉しくなりました。「メビウス」を書いたあとの晴一さんが見せてくれる世界はどんなものになるんだろう?と思うとそれがいまから楽しみで楽しみで仕方ありません。

 

つらつらと書き連ねてきましたが、ずっとずっと晴一さんの紡ぐ言葉に焦がれていて、晴一さんの描く世界に憧れている、そんな人間のただの戯言です。晴一さんがあらたに言葉を紡ぐたびに、私はこれからも、その言葉たちに酔いしれることになるでしょう。晴一さんの歌詞に出会えたことは間違いなく私の人生にとって、とてつもなく幸せなことです。

 

新藤晴一さん、お誕生日おめでとうございます。笑うときに最初に「フフフ」っていうところ、大好きです。歌詞を書く時に経験したことは参考にするけど、歌詞はあくまでフィクション、というスタンスも大好きです。(だからこそダイアリーやデッサンがグッときたりもするのですが)しまなみロマンスポルノのときにステージから観客席をみて、そっと涙をこらえているところをみて、私も泣きそうになりました。ミュージカル脚本、という新しい挑戦も応援しています。ラジオでリラックスして楽しそうにお喋りしているのを聞いているとこちらも自然と癒されていきます。息子さんのために少年野球の審判の資格を取られたことを知って「お、おとうさん〜😭😭😭😭😭😭🙏🏻🙏🏻🙏🏻🙏🏻🙏🏻」と感無量になりました

いつも前に進む言葉をくれてありがとう、晴一さんの言葉に出会っていなかったら、今の私はありません。

 

自分の部屋にG(例の虫)が出て(晴一さんはむちゃくちゃ嫌い)(わたしもめちゃくちゃ嫌い)こわくてどうしようもないから昭仁さんを呼んで退治してもらったエピソード大好きです。